東海村臨界事故・担当者の噂話


1999年12月24日    

 茨城県東海村の核燃料加工会社の臨界事故で、最も被ばくのひどかった大内久さんが12/22日、亡くなった。日本の原子力施設の事故による初の犠牲者である。「現代医療の限りを尽した」との新聞報道であったが、担当者の間での噂話アレコレ。

83日間の闘病中、幾度となく襲った危篤のニュース。治療というより手の施しようもない模索の対応でしかなかった筈。冷酷な言い方をすれば、結果論ではあるが、国際的にもまたと得られない貴重な検体としての人体実験であったと、もっぱらの話。

大内さんの同僚で一緒に作業していた篠原理人さんは、当初の科学技術庁放射線医学総合研究所病院(千葉市)から東大医科学研究所病院(東京都港区)へ移されて、治療を受けていることからも、よけいにそんな話が囁かれている。

大内さんが浴びた放射線の半分以上は、人体への影響が最も大きい臨界反応特有の中性子線であったという。これはどんな建物等の遮へい物や戦車等でも、簡単に透過してしまう性質があり、近代兵器の中性子爆弾でよく知られている。臨界事故発生当初、付近住民に対し家から出ないように呼びかけた政府発令の警告は、とんだ茶番劇であったのだ。