(平成11年11月2日)

日本航空、昔話





 週刊新潮に連載され、日本航空の機内誌から外されるほど、日本航空側が神経を尖らせていた、山崎 豊子著の 「沈まぬ太陽 (全5巻)」 が単行本化され非常に話題になっている。

本書は 一人の日本航空社員の生き様を描いているのであるが、 '85年の御巣鷹山の日航機事故後、政府からの強い要請で日本航空に招聘された 伊藤淳二氏(本書では国見) をモデルにし、日本航空会長としての苦悩、政・財・官を巻き込んだ航空会社の闇の構図を明らかにしている。


伊藤氏は 中曽根首相(当時) に三顧の礼をもって 日本航空に迎えられたが、大きな利権の絡む航空事業では その公正さ故に、内外から煙たがられ、ついには 辞任に追い込まれた人物である。






 日本航空関連の書籍では、最近、 山本 善明著 の 「墜落の背景 〜日航機はなぜ落ちたか〜(上・下)」 が刊行され、日本航空側は、その内容に震撼しているという。

著者は、元日本航空の法務室に勤務しており、いわば身内からの告発といえる。


御巣鷹山の日航機事故後の日本航空のトップ人事は、政治家のご都合主義により弄ばれた感があるが、今一度ここで検証してみたい。

 1985年12月18日、「日本航空の 連続事故の経営に対する徹底解明と抜本的改革」 を旗印に、伊藤 淳二氏(当時 鐘紡会長) が政府からの強い要請で日本航空の副会長に就任した。

 以下は、当時の 日本航空社内報 「おおぞら」 に掲載された就任の挨拶である。

 


  

おおぞら 1985・12



 その後、伊藤氏は会長に就任し、日本航空を立て直すために腐心するが 、利権を守ろうとする社内外の圧力により、469日 の期間でその座を追われることになる。

以下は、会長就任時の 社内報での挨拶である。



 伊藤氏が目指した 「絶対安全」 と 「卓越したサービス」 は、日の目を見ることなく、その胸中は 辞任に際してのコメントに集約されている。


 以下に、会長辞任時のコメント、対外発表を示す。


S62.3.31
対外発表文


  1.  本日付をもって、伊藤淳二代表取締役会長はその職を辞任した。
    任期満了前の3月31日付辞任の理由は、「就任前、私は政府より、連続大事故の原因解明と、経営の抜本的改革につき、経営の最高指導を一任され、かつ、@鐘紡会長兼務 A原則週二日勤務 B少なくとも一期二年間の条件の確約をうけた。 しかるところ、最近、会長の置かれた情勢並びに条件が就任時に比して根本的に変化し、私の最高経営責任者としての役割は本日をもって終わったと判断したので、自ら辞任を決意した」 というものである。

  2.  同日付をもって田中茂信取締役空港本部長も取締役を辞任した。
    辞任の理由は、「田中取締役は、伊藤会長の経営方針と経営指導を全面的に信頼支持し、予てより、会長と進退をともにすることを考えていた。 本日会長が辞任するので行を共にして辞任する」 というものである。

  3.  本日の臨時取締役会において両名辞任の報告があったが、五島昇取締役より次の如き意見の表明があった。
    「@両氏の辞任が外圧によるものであるなら、近く日航が民間経営に移行する重大時期よりして、経営の自主責任制より強く反対する。 A最高経営層三代表取締役は経営の責任を分け合う必要があり、会長一人辞任することは反対である。 B今後の経営人事について、34.5%の大株主たる国の意向の他に、特に民営移行後を考えて、その他の民間大株主会また社外役員 (取締役と監査役) の意見をも十分反映さるべきである。
     社外役員として日航創立以来一時期を除いて経営に参加した立場から、今後の日航を厳重に見てゆく。」

  4.  両名の辞任について伊藤会長より橋本運輸大臣に報告し、了解を得た。

  5.  本日の臨時取締役会以降、日航経営は辞任した伊藤会長、田中取締役を除いた役員によって行なわれる。
以 上  


S62.3.31
会長辞任の経緯について


 本日付をもって、私は日本航空株式会社代表取締役会長を辞任する。 辞任するに至った経緯と理由について以下説明したい。


  就任以来の経緯と辞任の理由

  1.  私は、昭和60年12月18日、臨時株主総会において、政府よりの強い要請に応え日航経営陣に代表取締役副会長として参加した。

  2.  政府の要請は 「昭和60年8月12日に起きた墜落大事故と、これまで十数年間に連続して発生した人命事故の原因の解明と、安全確立のため、経営の抜本的改革を早急に行う必要がある」 ということであった。

  3.  私は経営引き受けに当たって政府よりの 「定款・取締役会規則を改定し、私の強力かつ一元的なイニシアティブの下に、経営方針、就中、人事・労務方針を指導する」 また、「@鐘紡会長との兼務A週二日勤務B少なくとも一期二年間」の条件について確約をうけた。

  4. その後、全力をあげて、経営の刷新をすすめ、「絶対安全の確立」 と 「労使関係・労々関係の改善」 に重点を傾注した。
    その成果については 「経営者は弁明せず」 という私の信条に基き語ることを省略する。ただ遺憾ながら、昭和61年7月、客室乗務員昇格問題を機にして労使・労々関係の一部が不安定となった。

  5.  これを契機として、私の経営方針、就中、人事・労務方針及び経営指導について社内外の一部より批判が強まり、更に、トップ三役の不統一がいわれ、昨年11月5日、運輸大臣と会長との会見による政府方針が伝えられた。

    政府の方針は 「日航の、社内も、世間の人々も、最高人事体制は8月12日大事故に基いたものであったことの原点を想起してほしい」 ということであった。
    また、大臣より 「今後とも三役一体協力してやってほしい」 との要請があった。

  6.  その後、政府筋・自民党内の一部において、交通部会、総務会にみる如く私の経営方針、就中、人事・労務方針、経営指導についての批判がつづき、その修正、変更を求める意向が強まり始めた。 いうまでもなく政府筋、自民党内において私の経営方針、就中、人事労務方針に共鳴、支持する向きもある。

    しかしながら、私としては、会長としておかれた諸情勢、諸条件が就任時に比し根本的に変化し私に対する政府の確約も履行が至難となりつつあることに鑑み、また 「役員はその進退は自ら決す」 という私の経営者としての信念に基き、日航法廃止法が3月10日、閣議決定されたのを機に運輸大臣宛、辞意を表明した。

  7.  3月12日、運輸大臣と会見、大臣より慰留があったが3月14日、再度会見の上、「私の辞意は変わらぬ」 旨伝えて了承を得、大臣は直ちに総理大臣に報告した。

  8.  任期満了前の3月31日付辞任の理由は 「以上の経緯に基き私が会長として責任を果たすための諸般の情勢と就任時の条件が根本的に変化し、私に対する政府の確約の履行が困難となりまた、三役体制も無意味となったので日航最高経営責任者として私の会長の役割と果たすべき使命はこの日 (昭和61年度3月期終了日) をもって終わったと判断し、自ら辞任を決意した次第である。

  9.  私が3月14日辞意を表明した事とともに、田中茂信取締役は 「会長の経営方針、経営姿勢を全面的に共鳴、支持した者として、会長と進退を同じくしたい」 旨、表明し、私に辞表を提出された。
    今日まで私より、強く慰留をつづけてきたが、辞意は固く本日付を以て辞任することとなった。 田中取締役が私と行を共にすることは、感銘にたえない。

  10.  今日以降、私と田中取締役を除いた役員によって、それぞれ、商法にもとづく取締役の忠実の義務により日航経営の責に当たられるのであるが総会まで、万遺漏なきを切望してやまない。
以 上  


S62.3.31
会長コメント


  1.  私は一昨年12月18日、政府よりの強い要請により 「連続事故の経営に対する徹底解明と抜本的改革」 について経営の一切の権限を一任され、定款・取締役会規則を改正すること、また、@鐘紡会長との兼務 A原則週二日勤務 B少なくとも一期二年間の条件の確約を受けて日航経営陣に参加し、経営に当たってきた。

  2.  私は経営者の信念として、「一つは、経営者は、全て業績結果で評価さるべきであり自ら弁明することはない。 二つは、進退は自らが決する。」と考えている。
    従って日航一年三ヵ月間、私の経営の全ては結果が示す通りであり何もコメントすることはない。

    また、任期中の3月31日付に辞任したのは私の会長として置かれた諸情勢、諸条件が就任時に比して、根本的に変わり、私に対する政府の確約の履行が困難となり、また三役体制も無意味となったので私の日航最高経営者としての役割と果たすべき使命は、今日 (昭和61年度決算最終日) をもって終わったと判断し、辞任を自ら決意したものである。

  3.  田中茂信取締役が、私と行を共にされたことは感銘に堪えない。

  4.  今後の日航は、日航労使の自主的・主体的な協力により発展することを切望する。
以 上  


 最後に 伊藤氏とともに日航を去った 田中茂信取締役 の辞任の挨拶と、田中氏がその後 日航の問題点に関して指摘を行っているので合わせて掲載する。

昭和62年3月31日

田中 茂信  
辞 任 挨 拶


 3月14日、伊藤会長の辞意表明を知り、同日付にて、私も会長宛に辞表を提出した。 今日まで強く慰留され、再考を求められたが、

一、会長の経営理念・方針を全面的に共鳴・支持して来た者として会長と進退を共にするのは、就任以来の決意である。

二、辞任する事が真の会社再建にとって最善の道であり、他に選択の余地はなかった。

三、鐘紡株式会社社長以下全役職の皆様の苦衷に対する日航のお詫びの証しは此しかない。

との結論は変えられず、本日付で辞任を了承され、本取締役会終了後、正式に辞任する事となった。
貴重な時間をいただいたので、去りゆく者の最後の言葉として赤裸々に歯に衣きせず、その趣旨を説明し度い。

  1.  伊藤会長の日航トップとしての就任は、政府の要請に基づくものであり、JA8119号機の大事故を契機に 「事故多発の日航体質の解明」 と 「その抜本的改善」 を行うことにあった。
    自浄力を失った経営に替え、「破産企業の管財人」 的立場で送り込まれたわけである。

    言葉が過ぎるかも知れないが、事故多発の体質と決めつけられ、自らの手で改善出来ないとみなされた日航は、正に経営破産であり、又、JDCその他、新聞、雑誌等で宣伝される不祥事が事実とすれば、言われる通り内部牽制力や点検もない、放漫無責任経営となり、私利追求と自己保身が横行し、真に責任ある経営者は不在であったといわねばならない。

    しかしながら、会長辞任の御説明の通りの経過により会長の経営方針は此を受け入れ難いごく一部の社内勢力、及び此を支持する一部の社外勢力から否定される結果となり、突然の辞任となったものである。

    経営トップの中途辞任の意味する処は極めて重大である。 其はトップが自己の経営責任を全うする事が出来ない状態に立ち至った事を意味する。 私はここで改めて伊藤会長の経営理念、方針を確認し度い。

    凡そ、事故多発の体質とは何かを解明し、更にそれに対する全役職員のコンセンサスがなければその抜本的改善はあり得ない。
    私は、事故後も相変らず続いている救いのない労使・労々間の不毛の争いと不信感特に乗員組合と客室乗員組合等々を敵視する労務体制等にその象徴をみる。

    そのため、会長は、「日航維新」 をかかげて、その抜本的解決を図られた。
    四民平等の理念に目覚め、その理想実現に立ち上がった名もない若者達の生命がけの行動が明治維新を達成した。 「士農工商の別なく、平等に日本国民である」という考え方は、日航維新にとっても同じである。 所属する組合の別もなく、職種の別もなく、エリートもなく、特権階級もなく、まして、日の当たらない人もないという公正明朗な会社にする。 そして、二万人の社員が明るく希望をもって仕事にいそしむ事の出来る会社にする。

    此れが会長の基本理念であり、経営方針の基本である。
    又、此れは四労組等距離論に象徴されるものであり、此の会長の経営理念、方針は日航に平和と安定をもたらす唯一のものとして心から共鳴し、支持してきた。

    然し、一方、此の方針は従来なれあいによって企業を私物化して来た社内の極く一部の者にとっては、利益、特権の喪失を意味し、耐え難いものであった。 そこで維新・改革を阻むことに力を結集し、社外に働きかけ、維新・改革の問題をすり換え、いわれなき個人攻撃まで行い、遂に会長に辞任の途を選ばせるまでに追いつめた。

    執行責任を有する全役員は、改革の方針に基づき、その実現に努力して来られたと思うが、今回の結果に終わった事は、遺憾の極みであり、こうなった以上、共にその責任を負い、会長を行を共にする事が当然の筋と考えるものである。

    会長辞任により此の方針が若し否定されるとすれば、事故多発の体質は倍旧の力でよみがえり、復配・民営化以前の問題として、大事故に向かって直進するであろう事は、過去の歴史の示す如く、火を見るより明らかである。 昨今多発しているいままでの常識や過去の経験を越えたインシデントやランプ事故、引き返し等々は、大事故に対する警鐘の乱打である。 その回避への時間は打ち続いた事故経験からみて極めて限られたものになろう。

  2.  会長辞任により日航維新を願った多数の人々は、その柱を失った。 何故か。 日航維新という起死回生の試みがつまずいたのは、人から与えられるものを待った故であり会長一人に頼り切り、一人一人が身を投げ出して立ち上がる事をしなかったからである。
    維新の志士なくして成功はない。 私も省みれば猶、会長に頼り、本当に身を捨てていなかった。

    故に、ここに身を捨てる事により、経営が直面する重大な局面を本当に日航すべての働く人達に理解していただき、日航維新の為に一人一人が志士となって立ち上がられる事を期待し、熱望するものである。

  3.  特に、昨夏よりホウハイとして起こった伊藤会長への批判はすさまじいものがあり日航として此れにどう対処したか。 又、社長はじめ役員は、一体となって会長の考えと方針を擁護しただろうか。

    又、此れを切歯扼腕しながら拱手傍観するしか術のなかった鐘紡株式会社の社長以下全役職の皆様の苦衷は誠に察するに余りがある。

    会長は文字通り鐘紡株式会社の生みの親であり、師であり、シンボルであるからである。私は、過日同社岡本社長に会い、心から私の会長補佐における非力と共に、日航としての無礼を詫び、私が出来る唯一のお詫びの証しとして取締役を辞任することをお伝えした。

    社長は、私の申し出をうけいれ、特に 「会長が心血を注いで日航再建につくしてこられたものを今後の再建に役立てて下されば、此れ以上申し上げる事はない。」 とのお言葉を賜った。

終りに、再び申し上げ度い。 私は心から 「真の日航の再建」 を願い、実現せんが為に長年お世話になった会社をさる。 私の辞任が、一人でも多くの日航社員が会社の現状を直視し、会長のかかげられた維新・改革の方針に沿った努力をはじめるキッカケになれば望外の喜びである。

一々御挨拶申し上げるべきであるが、本席にて皆様にお礼を申し上げ、安全運航、社業繁栄の為、御健斗を祈るものである。
以 上  




日本航空の危険な実情について

昭和63年4月27日
田中 茂信 
(日本航空・元取締役)

 日本航空株式会社は、昨62年11月民営に移行しました。そして、昭和62年度は史上初めて 300億円を超す利益を計上することが見込まれています。

しかし、日本航空は表面上、民間会社として順調なすべり出しをしたように見えますが、内部に多くの重大な問題を抱えたままです。 利益が出ていることを理由に、これらの点を放置しておきますと、社員のモラール低下は一層進み、安全運航が保てなくなることが予想されます。

その主たる要因は下記の通りです。 これらは、いずれも客観的事実であり、今後、日航が世界の航空業界での競争に勝つためには、万難を排して克服しなければならない点であります。
無事故日航の実現は、国家の名誉に係わることでもありますので、是非とも御関心をお寄せ下さり、その解決にお力を発揮下さいますようお願い申し上げます。

  1.  絶対安全維持のシステムが確立されていません。

    飛行機事故を起こさないためには、万全な整備だけでは不十分です。 心身ともに優れた操縦士と乗務員が運航し、その支えとして優れた運航管理者の存在が必要です。
    整備、乗務、運航の担当者が三位一体となり、固いチームワークができなければ、絶対安全は保てません。

    ところが、後でも述べますように、現在の日本航空では、労使間だけでなく、組合間にも厳しい対立関係があり、職種の異なる社員同士がチームとして機能を発揮できる環境ではありません。
    日本航空の社員にとりましては悲しむべき職場環境が作られています。

    外部からは、会社に非協力的な組合にその責任があるように見受けられるかもしれませんが、これら非協力的といわれる組合が一貫して要求しているのは、公正な人事と差別待遇の廃止なのです。

    会社側がこのようなごく基本的なことを実行すれば、職場の雰囲気は改善され、安全運航システムの確立は可能となります。

  2.  組合間に深い対立があります。

    現在、日本航空には6つの組合があります。 この中で最大なのは全日本航空労働組合(全労、12,000人)です。 この他に、日本航空労働組合(350人)、乗員組合(1,400人)、客室乗務員組合(2,000人)、先任航空機関士組合(130人)、機長組合(640人)があります。

    会社経営陣は重要事項はすべて全労幹部との話し合いで決定しています。 全労役員経験者には、もれなく論功行賞があり、また組合員も昇進・昇格が早く、幹部は会社経営陣への道が開かれ、OBは子会社の経営者として天下っています。

    しかし、圧倒的多数の全労所属組合員までが、十分な見返りにあずかっているわけではありません。 むしろ精神的苦痛を味わっています。たとえば、経営ベッタリの全労の指導方針に対する批判的発言や正論は選挙方法を含め、いっさい封じ込められています。
    さらに、全労組織からの脱退を防止するため、会社ぐるみであらゆる方策がとられています。 出口のない、重苦しいシラケムードが職場を覆っています。

    これに対して、他の組合の構成員は、実力があっても昇進・昇格の道は非常に限られています。 その結果、全労以外の組合員にはあきらめムードがみなぎり、これが士気の低下、会社不信へとつながり、不毛の労使紛争や全労対他労組との対立となっています。

  3.  経営の乱脈さは改まっていません。

    冒頭で日本航空の62年度決算は 300億円以上の利益計上が予想されると述べましたが、これはひとえに円高、燃料安という外部要因によるものです。
    この分だけで、年間合計約400億円の利益が算出されますので、62年度の黒字は経営努力によるものではないことは明らかです。

    しかし、日本航空は健全、堅実な経営をし、安全さえ保てれば円高、燃料安がなくても確実に利益の出る企業です。
    過去に安定配当ができなかったのは、乱脈な経営が原因といえます。

    第一は莫大な販売費です。

    人件費と燃料費は合わせて総経費の約50%しか占めません。 残りの経費の大きな部分が特別販売促進費用などの販売費です。

    第二は使途不明金の存在です。

    昭和61年度の申告調整額の中で 「その他の申告調整」 として 73億円が記されています。
    会社側はこの中に 「公表できない交際費」 が含まれていることを認めています。 一般の民間企業のこの種の支出に比べケタ違いの額です。

    第三は、ドル先物予約による差損があります。

    日本航空は飛行機購入のためのドル支払いが多いことを理由に、昭和59年から11年間にわたる為替予約をしていますが、昭和61年度だけでもその差損 が140億円を超えています。
    このままで推移しますと、昭和70年には累計で約1,500億円を超える差損が生じます。
    これは明らかに経営上の大きなミスといえます。

    第四に、関連会社への無定見な肩入れです。

    典型的な例が日航開発に対する債務保証です。 日航開発に対する債務保証は、昭和60年で 116億円余に達していますが、昭和62年9月の取締役会において、さらに 155億円の債務保証を引き受けるというドロ沼の道を歩み始めています。
    日航開発が昭和59年に1億7,500万ドルで買収したニューヨークの 「エセックスハウスホテル」 はたとえ満室が続いても、金利をまかなうだけの収入さえ得られないという試算がありながら、155億円もの債務保証を決めたのです。

    第五に、会社財産の不当な売却があります。

    日本航空は昭和60年10月に別会社 「HSST社」 を設立しました。同社は将来の夢の運輸手段といわれる浮上式弾丸列車の実用化が目的です。
    HSST (超高速磁気浮上式鉄道) は日本航空が10数年に渡り、54億円の費用をかけ開発を続けたプロジェクトでした。
    ところが、日本航空はこれまで開発した特許、技術、資材、機器など一切をわずか1億3,000万円で HSST社に払い下げしました。
    しかも1億3,000万円の支払条件は、5年据え置き、10年年賦、年利5%という常識外れの好条件でした。
    その上 「HSSTが実用化できない場合は、支払について改めて協議する」 という覚書を取り交わしています。
    日本航空本体にとって、明らかにマイナス材料といえます。

  4.  安全性が確認されていない2人乗務機が導入されます。

    日本航空は、1990年1月からボーイング 747-400型ジャンボ機を主力機として導入することを決定しました。
    機長組合は 「ボーイング社の説明をうのみにしないで、日本航空独自で安全性を確認してから、─400型機の導入を決めるべき」 と主張していますが、会社側は経済性を重視して、この主張を受け入れません。

    「二度と事故を起こしたくない」 という機長組合をはじめプロ集団である乗員の大多数の強い意向を無視することは、安全を確保する上で非常に危険です。



2人乗務ジャンボ機導入の問題点

─ なぜ乗員が反対するのか ─

昭和63年4月30日
田中 茂信 
(日本航空・元取締役)

1. 2人乗務ジャンボ機 B747-400機とは
 日本航空は 1990年1月から、航空機関士を搭乗させず機長と副操縦士の2人だけで運航するボーイング 747-400型機(ダッシュ400)を導入することに決めました。
この飛行機は、ボーイング社が開発したジャンボ機で、すでに就航している 747-100、747-200、747-300機に次ぐ最新鋭機です。

ボーイング社によれば、これまでのジャンボ機と同じ乗客を乗せ、より長く、より安く飛行することができるということです。 そして、コックピット内の装置はコンピューターにより制御されたハイテク機能を備えているため、航空機関士は不用というのが特徴になっています。
ダッシュ400の1号機は、間もなく完成しノースウエスト航空に引き渡されることになっています。
2. 航空機関士の役割は重要です。
 コックピットの中には、機長、副操縦士、航空機関士の3人がいます。 航空機関士の役割は一般の人には分かりませんが、非常に重要な部分を担当しています。

まず、エンジン、電気、油圧そして空調与圧系統など、機内のあらゆるシステムの作動状況をモニターします。 さらに、飛行機の航法や離着陸のアプローチ方式、また、ATC(航空交通管制)のモニターもしています。
船で言えば機関長に当たる重要な存在です。

このような航空機関士の役割をすべてコンピューターに代行させるシステムを開発したと、ボーイング社では言っていますが、私達はこれを 100%信用するわけにはいきません。

コンピューターには限界があります。 航空機関士は、コックピット内でパイロットの作業を見ながら、飛行機のすべての機能の作動状況を克明に監視しています。
このような重要な作業を、経済性という面だけのためにコンピューターに委ねていいのでしょうか。
コンピューターが故障した事態を想定しますと大きな不安があります。
3. 長距離飛行に2人乗務は危険です。
 すでに就航している A310、B767 などのエアバスには、2人乗務運航が行われているものもあります。
しかし、2人乗務運航はすべて近距離に限られており、8時間以上飛び続ける長距離航路には、2人乗務は導入されておりません。 長距離国際線のジャンボ機はすべて3人乗務で運航されています。

ダッシュ400は、超長距離用の旅客機で初めて2人乗務システムを取り入れたジャンボシリーズです。
長時間、パイロットだけで飛行機のすべてのシステムをモニターし操縦することは心身ともに無理な作業です。
4. 安全性が確認されてから導入するべきです。
 乗員達はダッシュ400が備えているハイテク性能、燃料消費量の少ない経済性をけっして無視しているわけではありません。 今後の国際競争に遅れをとらないためには、より性能の優れた飛行機の導入は絶対に必要です。

乗員達が訴えたいのは、安全性を確認してから導入すべきだということです。
ボーイング社のパンフレットをそのままうのみにしないで、実際に飛行機を操縦するパイロットに、十分テスト飛行を積ませることが先決だと考えます。
パイロットが2人乗務で大丈夫という結論を出したあと、導入するべきです。

乗員達は、二度と大惨事を起こしてはならないという強い決意から2人乗務のダッシュ400の早期導入に反対しているのです。
1985年8月12日のJAL123便の大事故以後、ボーイング社のジャンボ機は、設計および機体構造上の欠陥だけでなく、製造、整備上のミスがあわせて14回も発見されています。


3.31、4.1 日航ストの背景

昭和63年5月12日
田中 茂信 
(日本航空・元取締役)

 去る3月31日と4月1日に日航乗員組合は、48時間のストライキを決行しました。 このストライキにつきましては、一般の皆様から「民営化されてもストをするのか」との批判を受けていることもありますので、ここにその背景を明らかにしておきたいと思います。

1. 乗員は、2人乗務新型機の導入に反対しています
 ストに踏み切らざるを得なかった理由は、新型ジャンボ機の導入に対する会社側の考え方に反省を求めるためでした。
日航経営陣は、1990年1月から2人乗務で運航する新型ジャンボ機 B747-400(ダッシュ400) の導入を決定しています。 ダッシュ400は、これまでのジャンボ機より航続距離が長く、かつ燃料消費量も少なく、しかも、機長と副操縦士だけで運航でき航空機関士が不用な2人乗務のため人件費も安くなる─というのが製造元のボーイング社の PR 文句です。

このようなボーイング社の言う経済的メリットを、現場の乗務員は決して文字通りは受け取っていません。 実際の運航によって確認されているわけではないからです。
また、ジェットエンジンの特性上、ダッシュ400が主に用いられる長距離路線において、このような燃料消費特性が発揮できるかどうかをボーイング社は明示していません。 羊頭狗肉のおそれがあります。

しかも、お客様を乗せるという航空機で最も肝心な安全性についての不安が消え去らないのです。
安全性について 100%の確認が得られるまで2人ではなく3人乗務編成で新型機を導入するべきというのが乗員組合をはじめとして、先任航空機関士、機長の3組合の一致した主張です。
2. なぜ新型ジャンボ機は不安か
 新型ジャンボ機のダッシュ400が安全運航面で不安である理由は次の2点です。

(イ) 航空機関士の役割をコンピューターは果たせません
 ダッシュ400は航空機関士の役割をすべてコンピューターに肩代わりさせる設計にな っています。
しかし、これは航空機関士が安全運航面で果たしている役割を過少評価している結果で、機長組合はその不安を強く指摘しています。

航空機関士の職務は、一般にはよく知られていませんが、安全運航を維持するうえで欠かせない作業が含まれています。
たとえば、故障の早期発見、故障発生時の回復操作、緊急事態にあたってのパイロットとの協議、さらに客室内での故障、トラブルへの対処、機外の見張りなど重要な役割を担っているのです。

このような作業は、コンピューターが代行できるものではありません。 実際に航空機関士の五感の働きで事故を未然に防いだ例は、枚挙にいとまがありません。
客室内のかすかな燃料の臭いから燃料漏れを発見したり、補助エンジンや空調システムの作動音から機器内部の異常を察知することは、よくあるケースです。

機長、副操縦士、航空機関士からなるクルーのなかで、航空機関士の最も大切な役割は、異常事態に遭遇した時、自由に動ける唯一の存在であり得ることです。
機長と副操縦士は、操縦席から離れることは不可能であり、操縦や地上の管制との交信などに忙殺されざるを得ません。
機長の目となり手足となって動けるのは航空機関士ただ一人です。 この機能は、異常事態を切り抜けるためには、欠くことができません。

国際線の長距離飛行を航空機関士なしで運航するとなると、パイロットの肉体的、精神的疲労は頂点に達します。
2人だけの密室では、常にお互いが話相手となります。 しかし、2人で緊張感を維持できるのは、せいぜい3〜4時間でしょう。 万が一、気持ちの行き違いでもあれば、抜き差しならないことになります。
精神的余裕を長時間保たせるのには、3人在室はどうしても必要です。

このような現実を無視して、2人乗務を強行すれば、絶対安全の確保は危うくなります。
経営者は経済性を追求する前に、現場の声を十分聞くべきです。
(ロ) ボーイング社の製造ミスが続発しています
 昭和60年8月の日航ジャンボ機の大事故は、後部圧力隔壁の欠陥が原因だったことは記憶に新しいことです。
しかし、ボーイング社の製造、整備ミスはそれ以降も跡を絶ちません。
今年の4月に起きたハワイのアロハ航空の B737機事故 (天井破損) も信じられない出来事でしたが、日本国内でも、ここ3年間に合計14件の製造、整備上のミスが発見されています。ごく最近の例として次の3件があげられます。
(1) 62年10月日航が同年8月に導入した貨物専用ジャンボ機の操縦室にあるエンジン過熱を検知する計器装置が間違って取り付けられていた。
(2) 63年1月飛行中の全日空機の機内で、空調吹き出し口から煙が発生。
また、補助エンジンのオイルリングの取り付け忘れも発見された。
(3) 63年3月B767型機の製造工程で、貨物室の消火装置の配管の取り付けミスが判明。
日航で5機、全日空で4機に同様の欠陥が発見された。
以上のような事態を重視し、日航の山地社長は、今年の3月30日付で、ボーイング社のシュロンツ会長あてに、製造、整備上のミスの再発防止と品質管理体制の強化を求める書簡を出しました。
一方、日航機長組合も4月8日付けでシュロンツ会長に書簡を送りました。
この書簡は

  (1) 最近続発している製造および整備上のミスの原因
  (2) 作業員の人的ミスの再発防止対策
  (3) 品質管理体制に関する改善策

─ などについて回答を求めています。
3. ボーイング社の製造、整備ミス根絶が先決
 ボーイング社航空機の欠陥につきましては、日航だけではなく、英国航空も同様の改善要求書簡を同社に提出しています。
ボーイング社がユーザーから信頼を失いつつある最大の原因は、生産現場の荒廃にあるといわれています。
このような病根の改善は短期間では達成されるものではありません。

シュロンツ会長は山地書簡に対し、特別監査チームの設置や作業員の教育プログラムの充実などの改善対策を約束しました。 しかし、これで製造、整備ミスが根絶される保証はありません。

日航の機長、航空機関士、乗員が訴えているのは、ダッシュ400が2人乗務で安全運航が維持でき、しかも、ボーイング社の製造、整備ミスが皆無となった時に初めて、2人乗務新型機の導入を決定すべきだ、ということなのです。
これは絶対安全を確保するうえで最も基本的な、譲ることのできない条件といえます。

以上が、3.31、4.1 ストライキ決行の背景です。
60年8月の大惨事の経験を深く反省し 「今後はどんな小さな事故も起こしてはならない」 との固い決意から、ダッシュ400の導入に際しては、当初3人乗務でスタートすべきとの強い要求が出てきたことを御理解願いたいと思います。


日航の使途不明金73億円

─ 一般企業の約10倍 ─

昭和63年5月28日
田中 茂信 
(日本航空・元取締役)

 日本航空は、昭和62年11月17日に民営化されました。 そして、民営化後初の決算(昭和62年4月〜63年3月)がまもなく発表されます。

前回(昭和61年度)の決算では、乱脈経営の現れとして、いろいろな問題点が出てきました。 その代表的な点が、73億円という巨額の使途不明金でした。

この額は、税引前利益の51億円を大きく上回っています。 一般企業にも使途不明金はありますが、だいたい営業収益の0.1%というのが常識の範囲内と言われています。
日航の場合は、営業収益の1%に達していますので、一般企業の10倍にもなります。

機長、先任航空機関士、乗員など各組合は、この使途不明金について会社側を厳しく追及しましたが、「中味については明らかにできない」 と、会社側は次のような説明を繰り返しました。
「申告調整 73億円は交際費などである。 具体的な項目の金額については、その性質上公表できない。 どの企業でも明らかにしていない。 株主でも、その中味を知ることはできない。
税務上は費用と認められなくても、会計上は認められている。 監査もやっているし、公認会計士も認めたものだ」
企業が使途を明らかにせず、課税所得として税務処理することを申告調整といいます。 確かに会計上は認められていますが、企業の姿勢としては好ましいものではなく、疑惑の目が向けられるのは当然です。

73億円が何のために使われたのか。 日航経営陣が 「明らかにできない」 という以上、合法的な使途ではなかったことは確かです。
たとえば政治献金がありますが、日航は民営化される前は、特殊法人であり政治献金は禁じられていました。 かりに、違法な政治献金をしたとすれば、経営陣は法の裁きを受けなければなりません。
政治献金でなかったとしても、ある特定の個人、団体の利益につながった使途になっていることは間違いありません。

一般企業でさえ、使途不明金は株主や関係者に不信感を与えます。 日航のような政府が筆頭株主になっている法人が、一般企業の10倍にも相当する高率、高額の使途不明金を出すことは、国民に不信感を植えつけます。

政府は、まもなく公表される日航の昭和62年度決算で、使途不明金がある場合は、厳しく追及し、国民に説明するよう指導すべきです。 日航の資本金には、国民の税金が使われているからです。

使途不明金のほかに、莫大な販売費も常識の域を超えています。
特別販売促進費用(規定以上の手数料、異常なリベート、巨額の宣伝費など)を含む、販売に要する経費が、年間なんと4000億円近くに達しています。
これは売上げの約半分を占める額で、一般企業では考えられない乱脈さといえます。

また、昭和60年に、1ドル=184円の平均レートで契約した11年間にわたるドルの先物予約が裏目に出て、昭和61年度決算では 140億円の差損を出しました。 この額は今後も一層拡大していきます。

このような、乱脈経営に終止符を打ち、絶対安全運航の確立のために最善を尽くさない限り、日航は世界における競争からは取り残されていきます。