三越事件

あの「何故だ!」の 解任劇の導火線となった

岡田打倒の 論談[三越を守る会]


 三越の帝王として十年間、権勢を欲しいままに君臨していた岡田茂。あの「何故だ!」の解任劇への導火線となった論談同友会の 「三越を守る会」 は、岡田打倒に向けてどのような役割を果たしたのであろうか。いうまでもなく三越事件の発火点となったのが、岡田と竹久みちの私利私欲による歪んだ取引関係であった。

昭和 47年岡田が社長に就任後、二人の関係は社内でも公然の秘密と化し、竹久が三越への事業活動や人事に深く関与するようになって来た。

“女帝” とまで呼ばれるようになって来た竹久の事業展開も岡田の庇護の下、納入商品は年々拡大の一途を辿り、「アクセサリーたけひさ」 のみに留まらず、海外の一流ブランド品や香港・東南アジアで製造されたアクセサリー類が「香港三越」を経由し新たに竹久の設立したオリエント交易を通じて三越へ湯水の如く納入されるようになった。

更に、三越の婦人服売り場を竹久のオリジナルブランドで埋め尽くそうとの竹久の野望は、フランスの人気女優カトリーヌ・ドヌーブの名をもじりあたかもメイド イン フランスの如く 「カトリーヌ」 ファッションとして三越の主力商品として売り出されていったのだ。

更に 「カトリーヌ」 は勿論 「アクセサリーたけひさ」「オリエント交易」 からの竹久商品の納入は、常軌を逸した全品納入方式がとられ、三越の経営を圧迫するような膨大な不良在庫を抱えるに至った。

一方、社内での岡田の独裁体制は横暴を極め、社内の岡田、竹久批判には、左遷、降格、追放による報復人事が待ち受けていた。

三越を愛する有能な幹部役員も岡田への怨念を残しながら次々と去って行かざるを得なかった。
独裁を貫くため副社長、専務は置かず要所要所には茶坊主的側近を配し、社内に秘密スパイ部隊を張り巡らし、暴君岡田の畏敬にひれ伏す社員や役員を尻目に独断と専横によって三越を牛耳っていたのである。


正木会長の決断「三越を守る会」の結成!


  内外から噴出する岡田下ろしの声、在任十年間幾度となく放たれるマスコミの批判キャンペーンは金や人脈を使い悉く葬り去った岡田茂。岡田打倒への燃え上がる火の手がそれで鎮まったかに見えた。
しかし、「このままでは創業 310年の三越が瓦解してしまう。どうか三越を救って下さい。」との悲痛な社員からの叫びと共に貴重な内部資料が論談に寄せられて来たのだ。

「株主として三越の経営危機をこのまま見過ごす訳には行かない」 との正木会長の決断は梶谷専務理事を代表世話人とする「三越を守る会」の結成に繋がって行ったのである。
昭和 57年 2月、密かに論談メンバー 44名による株付けが完了し、どう戦うか!岡田の牙城をどう攻めるか!実行への戦略会議は、連日密かに進行していた。

先ず、三越の株主に訴え 「三越を守る会」 の支持を呼びかける行動を起こすことから始まった。
名義書換代行機関の三井信託銀行へ株主名簿閲覧謄写を請求したが、最初は頑なに拒絶された。我々の懸命の説得にお互いに箝口令を敷くことを条件に協力を取り付け、6万名に上る A3版の膨大な株主台帳のコピー作業は我々の手で行うことになった。

数班に分かれて3日間、限られた時間の中、交代で休みなしに続けられた。 コピーの中から一万株以上の株主をピックアップ、更に三越の社員名簿から管理職 4000名、そして取引先への 深夜に及ぶ宛名書、組織力をフルに活用しての作業であった。
そして 3月中旬 「三越を守る会」 の名で運動の趣意書や告発文書、岡田体制支持の可否を問うアンケート用紙を同封し 郵送したのである。

こうして岡田打倒へ向けての戦いの火ぶたは切られたのである。これを切っ掛けに堰を切ったように岡田批判や激励の声が 「守る会」 に寄せられて来た。

更に竹久商品に絡む店内在庫の極秘資料が協力者から持ち込まれた。 これをメインバンク三井銀行の実力者であり、三越の相談役であった小山五郎氏をはじめ、三井グループの会長・社長で構成される 「二木会」 の他のメンバーに郵送し、岡田への側面からの圧力を期待したのである。
更に、公正取引委員会 橋口収委員長に取引業者に関する上申書を提出したのである。



潜入!香港オーキッドファッション


 その頃、「三越の主力製品、カトリーヌはフランス製でなく全て香港で作られている。その工場名は “オーキッドファッション(香蘭時装有限公司)”」との情報が飛び込んで来た。
前後して岡田、竹久が香港へ飛んだという。急遽、二宮常務理事を班長とする調査班が編成され、カトリーヌが作られているというオーキッドファッション確認に香港へ飛んだのである。

オーキッドフアッション潜入に当たっては大阪の仕入れ業者を装い、香港でブティックを経営する協力者に同行を頼んだ。

「岡田は 香港では警察署長やマフィアが出迎える程の VIP扱い。 しかもオーキッドの社長、工藤は竹久の配下、身元が割れると身辺の保証は出来ない」と言う。
ビル街にある工場は六階建。 入り口の鉄扉の上 「香蘭時装有限公司」 下に英語で ORCHID FASHION CO.,LTD の看板。 シャッターを押した途端、ショットガンを持ったガードマンが飛んで来た。
「何を撮っているんだ!」 との声に工場長が出て来た。二宮常務理事の機転で何とかその場を取り繕い、工場を案内してくれることになった。

三越キャンペーンガールのジユディ・オングのポスターがあちこちに張られ、150人の女工が働く縫製工場内を 同行した岩間日出夫が悟られぬよう隠しカメラで撮り続けた。

初期の目的を果たし帰りかけた処へ社長の工藤が帰ってきた。 一瞬ギクッとしたが、岡田の額が掲げられている社長室に案内され 「今、東京から “外部の者と接触するな!” との指令が来た」 と張本人を目の前に警戒心もなく喋る工藤の言葉に身の竦む思いだった と二宮常務。 調査の目的で関係先を色々聞き回ったことから、翌日、調査班の素姓はすっかりバレてしまい、現地マフィアが動き出したとの情報に身の危険を感じ、一週間の予定を3日で切り上げ早々に帰国したのであった。

この調査で布地は日本製、縫製は香港、シールはメイドインパリ。更に、調査班は動かしようのない事実を掴んだ。オーキッドファッションの登記簿謄本を入手したのである。
同社には全く関与していないと言い続けた岡田が取締役として名を連ねていたのだ。しかも租税回避地であるパナマ籍の会社の所有になっていたのである。

時を同じくしてマスコミに訴える作戦が取られ 「週刊朝日」に、「三越を守る会」 に寄せられた資料を提供し、岡田・竹久の 6頁に亘る特集記事が組まれた。

 三越事件を取り上げた気鋭の作家 大下英治の 「十三人のユダ」は、「守る会」 の動きを次のように描写している。

「岡田は一瞬周囲を一斉に包囲され、攻められているような恐怖を覚えた。 闇の中から突然四方に火の手が上がり、得体の知れない不気味な声が聞こえてきたような妄想を描いた」
「三越を守る会」 の決戦場となる株主総会は 57年5月27日午前10時本店三越劇場で 600人の株主を集めて開催された。
冒頭から罵声、怒声が飛び交う中、岡田が営業報告書を読み終えると同時に、敢然と梶谷代表世話人が立ち上がった。

三越崩壊の危機を訴え、岡田の退陣を激しく迫りながら 「オーキッドファッション」 に関する質疑を始めた途端、岡田の表情が一変、社員株主の「議事進行!」の声で一気に議案の可決に走り、「海外の隠し財産を掴んだぞ!」との声を振り切るように退場して行ったのである。

岡田にとってオーキッドファッションを出されたことは喉元にアイクチを突き付けられたような戦慄を覚えたに違いない。 岡田解任後、東京地検特捜部は、その全容を解明した。
それはオーキッドファッションに繋がる数社のペーパーカンパニーの存在が判明。 その裏口座にデザイン料やコミッション名目で膨大な裏リベートが振り込まれていた。

更に、香港三越を拠点に三越そしてオリエント交易へと流れる竹久商品から巧妙に裏コミッションを搾取するルートも解明されていたのである。
それ故、岡田の側近しか近付けぬ岡田の聖域でもあったのだ。

特別背任の罪に問われた総額 19億円の殆どが、この香港ルートであったことから見ても、オーキッドファッションが岡田の心臓部であったわけだ。

「三越を守る会」 の一連の行動は、三越株主や従業員、取引業者、そして三井グループの 「二木会」 等に協力を仰ぎ、一歩も退かぬ姿勢を世に示したことで、多くの協力者と共に闘うことが出来たのである。あの劇的な 16対0 の取締役会最後の良識はこの新しい株主運動を展開した 「三越を守る会」 が導き出したものといっても過言ではない。

昨年 11月、東京高裁は岡田に懲役3年の実刑を言い渡したが、再上告。 80歳の岡田被告は脳梗塞による右半身不随で、言葉が不自由な車イス生活と聞くが、未だに裁判を引きずる岡田被告に同情の余地はない。
「論談」 の二文字は、岡田の脳裏にどのように焼き付いているのであろうか……。