~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
第四章 大阪地方検察庁の冒頭陳述書

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 前章で、イトマンへ送り込まれた社長河村の手による奇跡とも言われた短時日での再建の過程をみてきた。これから、「戦後最大の経済事件」と定義づけられた今回の事件の本質、イトマン崩壊に至るまでの数々の軌跡について、以下章を追って検証していきたい。

 その前に読者各位に今一度今回の住銀・イトマン事件の全容と問題点を把握していただき、頭に入れてもらった上で、以下読み進んでいただきたいと考え、大阪地方検察庁(以下大阪地検と称す)が全精力をあげて作成した「冒頭陳述書」(刑事裁判の冒頭で検察官が証拠をあげて、犯罪事実を明らかにする陳述)(以下冒陳と称す)をまず紹介しておきたいと思う。

 (1)冒頭陳述書の概要

 大阪地検の検察官、検事が作成し、大阪地方裁判所刑事第八部宛提出された冒陳の内容は多岐にわたり、かつ四〇〇頁にも及ぶ膨大な量で、初公判時に検察官の交代によるそのポイントの朗読だけで約四時間を要した程である。

 ここではその要旨をわかり易く私の許でまとめてみた。

(一)「河村商法の実情」について

 河村被告は社長就任三年目にしてイトマンの再建を果して以来、会社業績は増収増益路線を続けてはきたが、実態は昭和六十年頃から新規事業や不動産事業の失敗や、一千億円を越す不良在庫を抱えたワン・ルームマンションの杉山商事を住銀の要請により引取るなどして、経営が大きく圧迫されてきた。この実態を隠ぺいし引続き業績を維持するために、不動産融資の際その一部を環流させて企画料、融資あっせん料、手数料(役務提供などの実体を伴っていない)などの名目で利益の計上を行っていた。

 平成元年末ごろ、住銀首脳から社長交代をほのめかされた河村被告は、これをはねつけ社長の地位を保持するため、公表した利益目標額を是非とも達成しなければ……と決意した。

(二)「伊藤被告の河村被告への接近」について

 自社の逼迫した資金ぐり打開のため、住銀の紹介により接近してきた伊藤被告が自分が平安閣グループ(冠婚葬祭事業)の総帥だと吹聴し、多額の利益が見込めると不動産開発案件をもちかけてきたのをよしとし、河村被告は伊藤プロジェクトへの傾斜を強め、「伊藤プロジェクトに対し計二千億円を融資するので、うち二〇〇億円を企画料として入金し、利益計上に協力してもらう。」と話をまとめ、利益目標額の達成を意図した。

 河村被告は社長直轄の企画監理本部を新設し、伊藤被告を本部長として迎え入れた。伊藤被告には権力が集中し、イトマンから自由に必要とする資金を引き出そうと決済システムを変更、社内の審査機能を有名無実化した。

 まさに社長の地位を保持するための正常な経営感覚では、とうてい実現が困難な計画であった。

(三)「絵画取引」について

 平成二年一月、許永中被告の資金ぐりの関係から絵画を担保にした緊急融資要請を受けて、融資としてスタートしたが、イトマン社内での融資諸手続を省略したので、売買に切り替えられた。許被告側の必要資金金額に合わせて絵画取引総額が決められ、個々の作品の価格は後から適宜割り振るなどいいかげんな取引だった。取引責任者の伊藤被告は、雅叙園観光の簿外債務の処理(後述する)をめぐり許被告と利害が共通し、お互いに資金を融通し合っている関係上、高値を承知で拒否しなかった。一方、河村被告もこれを機に新たな資金融資元への接近が図れると期待した。

 イトマンは同年二月から九月にかけ許被告系の企業三社から計二七一点の絵画類を計五二八億円余りで購入した。この絵画類は「通常小売店頭表示価格」に照らし最大限評価しても約一八一億円の価値で、イトマン側に約三四七億五千万円の損害を与えた。

 河村被告がそもそも絵画事業に乗り出そうとしたきっかけは、平成元年十一月ごろ、住銀元会長磯田一郎の娘園子の依頼で彼女が勤務する「ピサ」から購入した絵画類が、伊藤被告の仲介で許被告への転売話がまとまり、約五十億円の販売益がでるとの伊藤がうまくもちかけた話だった。

(四)「マスコミの批判記事封じ対策」について

 不動産開発会社「アルカディア・コーポレーション」の社長小早川茂こと崔茂珍がイトマンからの大口融資を期待してマスコミのイトマンの批判記事の抑え役を引き受けた。日経新聞社の社内協力者に、記事の執筆者や取材源を探してくれるように依頼し、平成二年十月一千万円の報酬を、同じころ元週刊新潮記者に情報提供報酬を五〇〇万円支払った。また河村被告は雑誌「経済界」の主幹に要請して、イトマンの新規不動産開発事業展開等に有利な記事を二回書かせて、二億円の原稿料を支払った。

(五)「箱根の霊園開発融資」について

 河村暴走経営に対する激化するマスコミの批判報道対策に追われていた河村被告は、小早川被告を懐柔、マスコミ対策に利用するため、神奈川県・箱根町の山林の霊園開発事業資金名目で、採算性のないこと、担保不足は明らかだったにもかかわらず平成二年十月十億円を融資した。この融資金のうち九割近い約八億七千万円が暴力団関係者へ流れた。

(六)「十億円の業務上横領」について

 アイチ(東京の金融業者)の会長森下安道は河村被告が会長をつとめる立川(東京の繊維商社)の株買い占めによる乗っ取りを計画した。河村被告は伊藤被告を森下会長に接触させ、「イトマンなどが保有する立川株を約五十億円くらいで買い取れば、立川の経営権をアイチへ引渡す用意がある」旨打診させた結果、同会長もこれを了承した。平成元年十月、大阪ミナミの料亭で立川株譲渡の秘密協定書に森下、河村、伊藤の三者で調印した。

 河村被告は手付金として十億円を受取ることで了承した。しかし、森下会長は五億円しか同意しておらず、差額の五億円は伊藤が負担した。河村被告は計十億円を受領、着服し株式購入などに充当した。

(七)「雅叙園観光(東京・目黒区)をめぐる伊藤・許両被告らの関係」について

 雅叙園観光の内紛に乗じコスモポリタン会長池田保次がその支配権を握った。しかし池田会長は株買い占めなどの多額の資金を必要とし、許・伊藤両被告から約二七〇億円、大阪府民信組元理事長南野洋からも約一五七億円を借り入れしていた。同会長は資金繰りに窮し、雅叙園観光の手形を乱発のうえ、昭和六十三年八月に失踪した。

 許被告はその後雅叙園観光の経営権を手に入れたが、乱発手形の回収に難渋した。一方伊藤被告は雅叙園観光に対し債権の支払を請求、雅叙園観光は倒産必至となった。大阪府民信組の南野被告は同組合の貸金も回収できなくなると考え、同観光の経営権を伊藤被告に譲渡することにし、許被告もこれに同調した。伊藤・許両被告は運命共同体的に資金を融通し合う間柄となった。

(八)「ゴルフ場融資」について

 伊藤被告は昭和六十一年三月ごろから東京・銀座の地あげに着手。ノンバンク数社からの多額の借入金などで、同六十二年四月以降資金ぐりが急速に悪化した。ちなみに同六十三年四月期末には借入金は一, 〇〇〇億円をオーバーする状態だった。

 伊藤被告はイトマンからの融資で借金返済に充てようと計画し、平成二年三月期決算前に、決算対策用の利益計上の思惑をもつ河村被告から平成元年十一月下旬、東京・銀座一丁目の土地の開発名目で四六五億円の融資をうけ、ノンバンク二社へ返済、逆に伊藤被告側からは決算対策用として企画料名目で約九六億円が入金された。

 また、伊藤被告は瑞浪ゴルフ場の開発名目で平成二年四月上旬、イトマンから二三四億円の融資をうけ、他の借金返済に流用した。

 一方、鹿児島県のゴルフ場開発で資金ぐりに窮していた、「さつま観光」を許被告が買収。許被告は農機具メーカー「野田産業」の株売却話を知り、株購入資金の融資を河村被告らに要請。ゴルフ場開発資金の名目で、平成二年五月上旬までにイトマンから二〇〇億円の融資を受けた。イトマンは充分な担保調査もせず、担保も取っていなかった。

(九)「本件各犯行の社会的影響」について

 イトマンでは河村被告の乱脈経営によって、平成二年八月末時点の借入残高は一兆一, 二二三億円の巨額に達し、その金利負担は一ヵ月当り約五十億円にのぼった。

 同年九月ころには、イトマンの信用不安、経営不安がますます増大し、住銀を除く多数の取引銀行は一斉に資金の引き揚げにかかり、しかも同年十月にはコマーシャル・ペーパー(優良企業が機関投資家等から無担保で短期の資金調達を行うための手段として国内で発行する約束手形)の発行限度枠が保留された(従来は一千億円の発行限度枠があった)ため、以後このC・Pによる資金調達の道も断たれた。さらに同年十月には追い打ちをかけるように商業信用状(L/C)の取組みも認められなくなった。メーンバンクの住銀からの緊急の資金援助を得なければ、最悪の事態に至るのも避け難い状況となった。

 これまで何かにつけ住銀に対し強く反発し、あるいは無視を続けてきた河村被告も、ここに至っては背に腹は代えられず、同年九月下旬、河村被告自ら平成三年三月までに不動産投融資を三,五〇〇億円圧縮する旨言明し、間もなく同行から緊急融資を受けた。

 住銀では、なおも暴走する河村経営の現状では、新規融資に応ずるわけにはいかないとして、平成二年四月以降融資をストップしたが、支払不能の実態も必至という危機に陥ったイトマンの窮状に対し、同行は十月九日から緊急資金援助を開始し、強力にてこ入れを行った。これによってようやく一〇八年余り続いた老舗のイトマンは、最悪の倒産の事態は免れた。

 しかしながら、伊藤被告への融資など二,〇〇〇億円にも上る巨額の融資債権と、許被告関係の絵画取引の代金元利等六二五億円の債権の回収の見込みはいまだにその目途さえもつかめない状況にあり、「戦後最大の経済犯罪」ともいわれる本件犯行によるイトマンへの打撃はあまりにも大きいものがあった。

 平成三年一月二十五日河村被告のイトマン代表取締役解任決議を行った取締役会は、新経営陣のもとで再建のスタートを切ったが、本件犯行がイトマンに残したつけはあまりにも重く、平成三年三月期決算では約六〇四億円の当期純損失を計上するに至り、イトマンは十四年ぶりに無配に転落した。

 このように、一部上場企業で老舗の中堅商社イトマンは、各犯行により、まさに倒産寸前の存亡の危機にまで追い込まれたもので、その結果は現在も各方面に深刻な影響を与えている。

(十)「暴力団とのかかわりあい」について

 伊藤被告はかねてから広域暴力団山口組若頭の宅見勝組長と親交を深めていた。イトマンへ入社後も宅見組長の秘書が同社内に出入りしていた。

 許被告も山口組系古川組長と親密な関係にあり、暴力団関係者と広く交際していた。イトマンに絵画を納入する際、仕入の仲介をしてもらうなどしていた。

 箱根霊園開発をめぐるアルカディアコーポレーション社長小早川茂は、大阪の暴力団柳川組初代会長の元秘書だった。同人の資金援助をうけて不動産業を営んだ。また、京都に本拠をおく暴力団会津小鉄の高山登久大郎会長の息子から、沖縄県の石垣島の空港予定地などを担保に三十五億円を借入れ、イトマンからの箱根霊園開発の名目の融資金十億円のうち、約九億円弱はこの借金の返済や宅見組の企業舎弟への貸し付けなどに流用されていた。

 本件犯行の三被告ともこのように暴力団関係と親交があり、広く交際していた。

 以上が平成三年十二月十九日付の冒陳の私がまとめた要旨である。

 なお、河村被告の自社株取得案件及び大阪府民信用組合案件は紙面の都合上省略した。
  
 (2) 冒頭陳述書の問題点

 大阪地検の河村良彦ら三被告に対する冒陳は、前述の通り膨大な量に達している。私の手許にある冒陳は全文ではなく若干要約したものだが、そのコピーはB5判サイズで約二〇〇頁にも達するボリュームとなっている。

 住銀・イトマン事件の取材で知り合ったある経済誌の編集責任者の好意によって入手したものである。しかし度重るコピーのためか、判読し難いつぶれた活字も相当数見受けられ、読むのに少しばかり難渋した。

 私は法律の専門家でもないし、大学は経済学部の経営専攻で、こと法律に関しては全くの素人なのだが、入手後すぐ複雑多岐にわたる冒陳の内容を精読した。法律に藤四郎の私が感じた問題点並びに今後の争点となるであろう点について私なりにまとめてみた。

 まずイトマン河村良彦ら旧経営陣と住銀とのかかわりについて冒陳は

 「被告人河村は、イトマンの主力銀行の住銀側から、社長在任が既に長期間に及んでおり、その間功績もあった反面、ここ数年来、むしろ新規分野への進出の失敗、南青山の地上げ失敗などでその経営手腕にかげりを見せていたこともあって、イトマンの後任社長を住銀から送り込みたい思惑で、社長の交代をほのめかされていた。そこで、自己の社長としての地位を脅かす住銀側の意向をはねつけ、あくまでもその地位を維持するためにも、何んとしても公表の目標利益額を達成しなければならないと決意していた」 とのみ指摘している。これが自社株の大量取得や、経営の暴走につながったとそのバックグランドを抽象的に述べるにとどまってしまっている。

 この部分は総論というか、事件を惹起させた背景として極めて重要なくだりだと思うのだが、検察側が指摘する通り、住銀に対抗しての河村の自己保身が犯行の動機とすれば、当然のことながら住銀の首脳なり関係者の言動とか、巷間とかくの噂のあった銀行内部における権力闘争というか派閥間のかけ引き等についてもっと具体的な事情説明など、三歩も四歩も踏み込んだ内容の詳述が欲しかったと思っている。残念ながら当り障りのない記述にとどまっている。

 第十五章で詳しく述べているが、河村は初公判での意見陳述で、「住銀の関与、関係者の役割の解明等」について裁判所に強く要望している。この件についてはこんごの公判における争点の一つになるのではないかと思われる。こんご河村ら三被告の大弁護団が住銀関係の首脳陣の証人の出廷、証言を求めることも充分考えられる。その場合には興味のあるはげしいやりとりの場面が展開されるものと期待している。しかしながら平成七年三月現在においては検察側が申請し出廷した住銀本店サイドの関係者は、当時イトマン担当の本店営業部の次長一名にすぎない。現在はある衛星都市の支店長をつとめる一管理職にすぎず、当時の首脳陣や役員クラスの幹部の出廷、証言は全く行われていないし、磯田元会長はじめ参考人調書の証拠申請すらなされていない。

 本件に関連するが伊藤寿永光と住銀並びに当時の会長磯田一郎との公私にわたる不可解なかかわり、事件の主役だった同人のイトマンの入社についてより詳しい、われわれの知らないような経緯などについては殆んど言及されずじまいである。

 これらの点について前述した通り、今回の事件の重要な原点でもあるので、河村ら三被告の弁護団の活躍によってせめて一部でも検証、解明されることを切望するものである。

 さらに、付け加えておかねばならないのは、今回の事件の周辺にチラホラ見えかくれし、過去のマスコミ報道でも具体的な氏名、事例もあげられていた政治家の実際的な動きにも全く言及されていない。イトマンの元副社長(財経担当)は河村良彦らの公判(第五十回、平成六年四月十五日)で弁護人側の反対尋問に答えて「平成二年七月十八日、河村、伊藤、許三被告らと東京・銀座の高級料亭(吉兆といわれている)で会食した際に、元首相竹下登(元自民党経世会派閥の会長)が同席していたと重要な証言をした。本件については、疾っくに朝日新聞が報道していたが、事件の三被告と政治家のつながりが法廷で明らかにされたのは初めてだった。

 大阪地検に押収されている元副社長の克明に日々の行動が記録され、色分けのボールペンで項目別に記述され、時には付箋まで張りつけられている極めて貴重な日記的な手帖がある。この平成二年七月十八日の欄に「竹下氏と会食」という記載があるという。関係者の話では、許永中らが政治家とのパイプを誇示するために、竹下元首相との会食をセットしたという。しかしながら、私は竹下登ともあろう超大物が、許永中と関係者のセットした宴席にお義理とは言え、出席するとはどうしても考えられない。こんな行動をしていたのでは、相当の高令でもありいくら体があっても足りないのではないかと、私ひとりで考えている。私の勝手な想像ではあるが、単なる会食を越えた今回の事件をめぐるキナ臭い匂がプンプンしてくるのだが、これ以上の確たる事実を立証する材料を残念ながら、私の手許に持ち合わせていない。住銀の平和相互銀行合併時にも政治家の関与がいろいろと取沙汰され、例の「金屏風事件」が国会でも採り上げられたりしたが、同じ性格ではないかと思っている。

 また朝日新聞の報道によれば、同年の竹下登との会食に先だつこと約半月前、伊藤寿永光の設営によって河村は元自民党、現自由党の代表者となった柿沢弘治(羽田孜内閣の外相)と話し合っている。雅叙園観光の元社長であり、伊藤の後見人的役割も果した山本満雄が柿沢代議士の選挙を手伝ったことが縁で、伊藤は昭和六十二年から柿沢の二政治団体に政治献金を続けていた。朝日新聞の取材に対し、柿沢の秘書は例によって「おぼえていない」と話したようだ。イトマン自身もわずかながら柿沢代議士の後援団体に政治資金を提供している。

 次に、広島県・中国山地の山ふところに庄原市がある。この広島三区選出の自民党代議士亀井静香(警察庁OB)がいる。村山内閣では運輸大臣に就任した。許永中の紹介で河村は知り合ったようだが、許と亀井代議士との結びつきは、私の手許では定かではない。許の顧問税理士(元熊本国税局長)は亀井代議士の紹介だった。

 この亀井代議士の地元で、イトマンは許とともに総事業費六〇〇億円というゴルフ場のほか、サーキットレース場、ホテルなどを建設するという大型リゾートプロジェクトを発表した。平成二年五月二十三日、庄原市の信用金庫で、亀井代議士はもちろんのこと河村、伊藤、許の三被告らが出席し、地元の有力者に対して説明会が開催された。

 ほどなくこの計画を推進するための事業主体となる予定の「ワールド・インペリアル・ウイング」が設立(本社・東京)され、伊藤が社長に就任している。河村とイトマンの絵画疑惑取引に登場してくる関西新聞社の社長や関西コミュニティ社長(二名とも許の腹心)、警察庁のあるOBらが取締役陣に顔を並べているという少しばかりうさんくさいスタートだった。イトマンにとっては幸なことに、河村の社長解任によってこのプロジェクトは手つかず仕舞だった。地元選出代議士ぐるみの一大事業の予定だった。

 この代議士は河村の住銀首脳からの退任勧告に対し、住銀首脳に対し電話によって圧力をかけたという情報が当時流れていたし、河村も何かと相談していたようだ。強面の永田町の先生だったが、秘書名義でイトマンの株を三十万株購入し河村に協力していた。

 私は政治家達の本事件に関する関与については、冒陳でも相当突っ込んだ解明がなされ、公判過程に於ても証拠申請なり、証人申請による主尋問で立証がなされていくものと大いに期待していたのだが、全く肩すかしをくらったような感じでいる。

 辛口評論で著名な評論家佐高信は、この冒陳について次のようなコメントを発表しているので紹介しておきたい。

 「イトマン事件というのは、本当は住銀事件だと考えている。住銀が深く関与しているのは間違いない。しかし住銀磯田会長ら幹部に捜査の手は届かなかった。今回の冒陳でも住銀に関する説明はまったく不充分で“触れないでおこう”という検察側の姿勢が垣間見える。そのしわよせをくったのが河村被告、冒陳でもきびしく糾弾された。この裁判はサル回しの犯罪で悪さをしたサルだけを裁いているようなもの。今後は枝葉末節の法廷論争に終始すると思う。それがこの裁判の興味を失わせる原因となっている」(毎日新聞、平成三年十二月二十日)

 まさにこの通りで両手を挙げて賛同の拍手を送りたいコメントだ。現に私が傍聴を続けている裁判はこのコメントの通りの推移となっている。

 次に検察対弁護側の争点となり、双方間で激しい攻防がくりひろげられるであろうと思われるのは、検察側が今回新らしくうち出した絵画についての「通常小売店頭価格」という新らしい概念である。絵画の価格というものは購入したい人の主観によって左右されるもので、画商の間でも取引価格そのものがベールに包まれ明確にしない商習慣となっている。こうした特殊な業界に対し、検察は新判例づくりに挑戦しようとし、新らしくうち出した考え方に自信をもっており、裁判所がどういう判断を示すか興味深く見守っていきたいと思っている。

 なお、許永中はイトマンとの絵画取引で得た利益を隠し約三十億円を脱税したとして、法人税法違反罪で起訴され現在絵画取引の特別背任罪と併合審理中である。担当の田中正人裁判長は、平成六年四月十四日職権で価格鑑定に乗り出すことを決め、東京・銀座の二画廊に鑑定を依頼したことを明らかにしている。裁判所による鑑定は極めて異例のようで、法廷で本格的な価格論争が展開されるものと思われる。

 さらに、特別背任罪についてであるが、「商社における金融取引にリスクというものはつきものである。リスクをかぶって損失が生じ、経営責任を問われるのはまだしも、会社のためにやったことであり、刑事責任を問われる覚えは全くない」というのが河村サイドの主張である。

 特別背任罪成立のためには、自己又は第三者の利益をはかる目的、もしくは会社への加害目的(法律用語では「図利加害」と称するようだ)が必要となるであろう。この図利加害目的の存在の有無もこんごの争点の一つとなるものと思われる。

 高度な法律論争は法廷の場に任せて、こんごの公判の推移、争点に注目していきたいと思っている。大阪地検の冒陳を読んでの素人の感想と問題点を提起した。

 平成七年二月現在、「総論」に関する検察側の証人調べ、これに対する弁護側の反対尋問はほぼ終了し、二ヵ所のゴルフ場に対する不正融資に次いで、箱根霊園への不正融資及び自社株取得についての検察側の立証に入っている。平成七年春以降まで証人調べが続行されるようで、検察と弁護側の本格的論戦は今のところまだ展開されていないという現状である。


第一章 第二章 第三章 第四章 第五章 第六章 第七章 (1)
第七章 (3) 第八章 第九章 (1) 第九章 (6) 第十章 第十一章 (1) 第十一章 (3)
第十二章 第十三章 第十四章 第十五章 第十六章 第十七章 (1) 第十七章 (4)
   目 次 プロローグ    エピローグ あとがき 巻末 参考資料