( 平成18年11月04日 )
投稿者: 山本恵子
自民党に、何が何でも戻りたい・・・ その焦燥感が、『 抹殺するぞ 』 の発言を平沼赳夫に言わせたのであろう。 戻りたいけど、戻りたくない格好をつけなければ・・・・ そのジレンマに悩んでいた矢先、山本一太の造反議員 復党反対発言を耳にした。 そこで、十八番の抹殺するぞ発言が、衆人環視の中で飛び出したのである。 大物ぶってはいるが、所詮は小物。 だが、小物ゆえに、卑劣極まりないことでも平気でやれるという強みもある。 稀代の金権政治家、亀井静香の舎弟分に甘んじて幾星霜。 その間に、正統保守の残映は消え失せ、恫喝と狡猾、利権と特権、打算と計算・・・ 斯様な文言が似合う政治家になり果てた。 「 卑と交われば醜になる 」 と言うが、平沼の場合は、先天的に醜の要素が一杯だったのだろう。 『 抹殺するぞ 』 が、単なる脅し文句で終わらなかった例がある。 実際に、一人の生命が失われたのである。 あれは郵政政局たけなわの、昨年夏の頃だった。 茨城七区選出の衆議院議員、永岡洋治が自ら命を絶ったのである。 亀井派に所属していた永岡が、郵政民営化反対の立場を賛成に転じたのは、当法案に党議拘束がかかったからに他ならない。 拘束がかかった法案に賛成するのは、政党人として当然至極のことである。 しかし、郵政民営化法案を廃案にすることにより、小泉政権を終焉させようとの企てが失敗に終わった亀井一派は収まらない。 転向議員に対して、猛烈なバッシングが行われることになる。 その様相は、支那の紅衛兵による人民裁判に酷似する。 率先して転向組を糾弾したのが、小林興起という凶相に満ちた紅衛兵。 あらゆるマスコミを通じて、転向組に罵倒と誹謗を繰り返したのである。 そして平沼は、小林たちをそそのかす。 「 あいつらを、政治的に抹殺しろ 」 とである。 同じ亀井派でも、郵政法案賛成組の松岡利勝のように、面の皮が鉄製で出来ている人物なら、小林風情のバッシングなど屁でもない。 が、永岡は心情が余りにも繊細すぎたのである。 度を超した、亀井派内部からの非難の嵐に精神状態が切れたのだろう。 そこで、自ら死を選んだのである。 すると平沼たちは、声を揃えて叫び出した。 『 永岡先生は、党執行部に殺された!! 』 とである。 警察の検視も済んでいない、遺書の内容も発表されていないのにである。 武部執行部が、無理矢理に転向させたから、永岡先生は死んでしまった。 それが、平沼や小林たちの言い分である。 そして、直接の下手人である小林興起に至っては、『 永岡先生の仇討ちだ!! 』 と言い出す始末なのである。 頼まれもしないのに、亀井静香は葬儀委員長を務めたりする。 そして嘘泣きをしながら遺影に向かって、こう言った。 『 永岡さんの無念は、私たちがきっと晴らします 』 とである。 郵政政局はもつれにもつれ、解散の事態に至る。 そして、亡夫の志を継いで、永岡桂子が茨城七区から立候補をすることになった。 その上で、郵政民営化賛成を公約にしたのである。 このことが、永岡自殺の真相を如実に物語っていると言えるだろう。 比例での復活当選を果たした夜、永岡桂子は仏前に当選を告げる。 両頬を濡らす涙は、当選の喜びよりも、夫を死に追いつめた一派への仇討ちに微力ながらも尽くせた、その感動がもたらしたものなのか。 亀井や平沼は党を追われ、小林に至っては議員ですらなくなった。 平成版、女の仇討ちは、つつがなく完了したのである。 そしてあれから一年余、永岡桂子の胸中に暗雲漂う事態が起きつつある。 仇の片割れである平沼たちを、党に戻そうという動きがある。 それも、来年の参院選で、平沼たちの持っている組織票が欲しいがためだというのである。 あの政局はいったい何だったのか? 夫の死は何だったと言うのだろう? これが政治というのなら、余りに卑しい世界ではないか。 永岡桂子、心情不安な秋である。 |